Petit rappel sur Chris Conty
プロフィール:Chris Conty (クリス・コンティ)
1948:ブリュッセル郊外、本名クリスチアン・ジルベール( Christian Gilbert )は軍人の父と写真家の母の間に生まれ、浮き沈みの激しい子供時代を送る。それは憂愁と情熱、長い滞在期間と旅、断絶と執着が織り込まれたものだった。
1971 春:キャレール社( Carrere )より初のレコードを発表。 Steeve de Greef と Jean-Pierre Williams の“ Si un jour ”と Alain Joel と Catherine Lemaigre の“ Tu partiras ”の二曲を収録。これは彼のフランス軽音楽キャリアの幕開けであった。ジャケットの写真では、クリス・コンティ( Chris Conti と最後は y ではなく i と当時は表記)は笑顔で、ビートルズよりも髪の短いおとなしそうな雰囲気を感じさせる。
立て続けに2枚目の彼のレコードを発表。(このころから彼の名前の最後は y で表記されるようになる。)これらも1枚目と同系のもので、アングロサクソン系の音楽をフランス風にアレンジしたものだった。
1974:“ Je ne veux pas dormir ”というタイトルのレコードの契約をヴォーグ社( Vogue )と結ぶ。このアルバムは衝撃的な“ Je ne connais que ce cri ”に続くものだった。
メディアもこぞって賞賛。成功は証明された。
この成功は 76 年まで続く。
1976:彼の全盛期、同時にスキャンダルが飛び出す。クリス・コンティは自分の 15 歳の従姉妹、ファビエンヌと性的関係を持ったというものだった。未成年者誘惑罪、親族内の事件、ショービズ。世の中を騒がせる要因はすべてそろっていた。クリスは自殺未遂を起こした後、メディアから姿を消す。
1977から 1979の間、ベルリンに滞在。そこで彼はアンダーグラウンドのミュージシャンたちと関わり、そしてようやく彼はロックと実験的な音楽に対する彼自身の情熱を再認識した。
1980:クリスは最後のコンサートツアーのためパリへ。
1981:彼はベルリンへ戻る。その後、二度とフランスの地を踏むことは無かった。ある日突然、彼は何も残さずにこの世から姿を消した。